運命(17)
社会人になって数年目の元旦、自分は、米沢の地を訪れていた。学生時代にお世話になった「細道」のオヤジさんから、遊びにおいでよと誘われたのだ。元旦は、オヤジさん、オバさん、お姉さんが、家族水いらずで過ごせる唯一の日なのに、そこに自分を誘ってくれたのが嬉しかった。
そんな招きに甘えついでに、自分は、仙台ですれ違いが多かった彼女を誘った。この場に、彼女を誘うということは、自分の中では、俺はコイツに決めたんだよという宣言をする気持ちもあったのだと思う。
昼前に「細道」を訪ねた。軽くお酒でも酌み交わそうという趣旨だったのだが、蓋をあけてみれば、オバサンとお姉さんの美味しい手料理のオンパレード。圧巻は、松茸尽くしだ。この松茸は、オヤジさんが、自分で採ってきて保存していたもの。そう、オヤジさんは、松茸採りの名人だったのだ。これらのご馳走と、懐かしい会話に盛り上がり、酒はすすむよ、どこまでも。気がつけば、オヤジさんと自分だけで、日本酒を2升も空けていたんだよね。
そろそろお暇の時間、彼女と自分が、おのおのの実家に帰る電車の時間まで、一時間ほど余裕があった。そこで、かつて、下宿していた大家さんに連絡を入れてみたところ、お出でお出でとウェルカム。元旦に酔っ払ってご機嫌の自分、そして、彼女は、大屋さん宅を訪ねたのだった。
大屋さんと言っても、自分と一回りも歳が離れていないお姉さん。我々は、愛を込めて、オバサンと呼んでいたのだが。久しぶりの再会に盛り上がったのも束の間、自分は、日本酒の酔いに意識を失いかけていた。そんな自分をさておいて、オバサンと彼女は、いろいろな話をしていたらしい。
二人が乗らねばならぬ電車の時間が近づいたのだが、完全にグロッキー状態の自分を見て、オバサンは彼女に泊まっていきなさいと言ったらしい。意識をなくして、気持ち悪さと戦っていた自分には、どんなやり取りがあったのか知る術もない。こうして、元旦から、かつてお世話になった大家さんの客間にお泊りすることになった、自分と彼女。そんな状況を認識したのは、猛烈に喉が渇いて水を欲した翌朝のことだった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)



河原での芋煮会を終えた後は、場所を移しての2次会だった。古い写真に写っていた思い出したのが、「炉ばた」という店の2階だったらしい。家内とは、ちょいと離れて座ったこともあり、お互いに話す機会はなかった。ところが、同じ高校出身のI先輩が、何を思ったか、座席のチェンジを言い出して、家内が自分の隣りに移動することになった。お互いに話したい訳でもなかったのに、なぜか、そういう状況になったわけだ。そばに来たので、あれこれ、話しているうちに、その年の5月頃から自分がはまり始めた自転車の話になり、そんな話題は面白くないかと思えば、家内は自転車が好きだと言い出す。その当時、最も、思い入れがあった自転車を好きだと言われては、自分も悪い気はしない。心の中で、こいつ良い奴かもと思ったのだ。そんな盛り上がりがあったおかげで、また後で自転車の話をしようなんていう約束もしたように思います。そうして、宴は終了したのです。
家内との出会いは大学3年生の秋だった。家内は短大の1年生だった。山形で秋と言えば芋煮会。知っている方はなるほどと思い、知らない方は何じゃそりゃと思うだろう。とにかく、秋の河原で芋煮鍋(里芋、牛肉、こんにゃく、ネギ等を醤油ベースで煮込む)を作り、同僚、友人、家族で親交を深め合う山形ではメジャーなイベントなのだ。女性に縁がない我がA下宿は、大学院1年の先輩に指名された4年生が幹事となり、短大の女子寮などに申し入れを行い、なんとか、合同芋煮会にこぎつけたというわけである。河原での1次会、鍋を囲んで輪を作り座った際に、自分の左隣に座ったのが家内だった。ただ、この時の会話は、たった一度きり。家内「おかわりいかがですか?」、自分「結構です」。・・・家内は、なんて無愛想な人なんだろうと思ったそうだが、自分にしてみれば、おかわりは結構だったので結構だと答えただけだった。
最近のコメント